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FFXを再プレイ チキンナイフかブレイブブレイドを選べ!
ファイナルファンタジー(FF)は家庭用ゲーム機である、ファミコンやプレステなどのソフトであり、ドラゴンクエストとならび人気のあるシリーズですよね。その中でも私にとってFFVはとても面白いソフトでした。現在までにFFシリーズはXまでクリアしましたが、FFシリーズにはクリア条件には関係ないが、面白い仕組みがいろいろとあります。RPGであってもアクション系の要素を取り入れたミニゲームがあったり、ある条件においてイベントが発生したりと。その中でも面白いのが、近年のFFシリーズにはラスボスよりも強い敵が存在するというものです。そして人によっては短時間クリアに挑戦してみたり、低レベルクリア、パーティー1人のみクリアなど様々な試みに挑戦する人もいるみたいです。

ここでは懐かしいFFVの再プレイによる、管理人VSオメガ&神竜の対決のコンテンツをつくってみました。ネタバレっぽいがまぁ古いソフトだし気にしない、気にしない。オメガの倒し方は、掲示板に投稿してくれた、太公望さん、おできんぐさんの通りにやってみました。

管理人とファミコン プロローグ
私はゲーマーというほどでもないのですが、ファミコンの時代に育った年代でもあり有名なソフトはほとんどやったことがあります。今ではプレステ2だのXBOXだのゲームキューブだのといろいろとゲームハードが発売されていますが、数年前まではゲームハードといえば任天堂のゲーム機、つまり初代ファミリーコンピュータ(ファミコン)、ディスクシステム、スーパーファミコンなどだけでした。他にメガドライブなどがありましたが、ほとんどの人がファミコンで遊んでいたものです。特にゲーム機はすべてひっくるめてファミコンと称した時代でもありました。今から思えばゲームの性能といえばチャッチィものですが、当時の少年たちにとってはとっても楽しいものでした。今でも懐かしさの余りプレイしている人も大勢いることでしょう。 私も含め当時の少年たちには限られたお小遣いではゲーム機などは高くて、とても買える代物ではありませんでした。年1回の誕生日やクリスマスプレゼントとして親から与えられるものでしたね。そんな私も小学生のころファミコンを買ってもらい毎日のように今から思えば、単純なゲームだったけど楽しく遊んでいられました。初めて買ったソフトは確か、ハイパースポーツとイーアルカンフーかなんかでした。何気にコナミ。ハイパーオリンピック≠ヘ友達に持ってる人が多かったので、自分は違うのが欲しいなと思い買ってみた記憶があります。イーアルカンフーはかなりまわりでも人気があるソフトでした。ファミコンソフトのグーニーズに出てくるコナミ監督ってなんなの??私のサイトに来てくれる人はほとんど若い受験生だからファミコン自体も知らない人がいるんだろうなぁ〜。スーパーファミコン、プレステ以降あたりからの世代みたいな気がします。ハイパースポーツは別売りのハイパーショットという今で言うジョイスティックみたいなのが必要で買った初日にすぐに遊べなかった記憶があります。
スーパーマリオブラザーズが大人気
その当時にファミコンが大流行したきっかけとなったスーパーマリオブラザーズが大人気となり近所のオモチャ屋さんでは買えなくなり、予約をしてやっと手に入れたことなんかも記憶に残っています。またフロッピーディスクみたいにゲームの中身をかえることができるようなディスクシステムというものも発売されました。コマーシャルのキャッチフレーズであるやればやるほどディスクシステムなんてのもありましたね。さらにファミコン名人なる人の登場によりファミコン♪ファミコン♪の時代になりました。
ファミコン名人現る
高橋名人の16連射は強烈でしたね。名人の16連射はインチキだのなんだのとウワサがたったりと、ファミコン少年にとってはカリスマ的な存在でした。連射の流行なのだろうか、ハドソンの名前忘れたけどゲームウォッチみたいな連射測定器なんかも発売され私も買いましたがとても16連射はできなかった。黄色くてペンを挿すと置時計みたいになるものでした。ハドソン公認ジョイカード、ジョイボールなども発売されこのころはシューティングゲームが大人気でした。
とにかく連射
シューティングゲームでは「スターフォース」「スターソルジャー」などで全国大会などの催しがありました。とにかくラリオスという合体する強敵を連射にて合体前に粉砕することに熱中している少年が多発していましたね。裏技的に16連射が出来なくても倒すことが可能でしたが、正当法での連射で倒すことにより大きな魅力を感じたものでした。

さらに橋本名人、毛利名人などもでてきてファミコンブームに拍車をかけました。学校から帰ったあとはファミコンに燃える!≠ニいうのが遊びの定番と化していました。

そしてソフトも2本5本10本と機会があるごとに増えて行きますが、やはり、そうそう買ってくれるものではなかったので友達との貸し借りがあったりしましたね。大抵いるよね周りに金持ち≠フ友達・・・・。50本くらいソフトをもってたりなんかして・・・・。

ファミコンばっかりしないで勉強しなさい
お母さんが厳しい人の家なんかに遊びに行くとファミコンをやる時間は30分に制限されている人が多かったですね。うちはそんな制限なかったけど、日曜日なんかは父親がテレビを占領してしまってプレイすることができないこともありました。ゴルフ中継みるならゲームでプレイできるのに・・・。日曜日は朝早く起きて、父親が起きてくるまでやるってことにしてました。まだそのころは自分のテレビなんて持ってなかったし。その後テレビを買い換えた時に古いテレビがファミコン専用となりネットじゃないけど常時接続≠ノなったのは言うまでもありません。

30分制限のある人は制限のない友達の家でプレイするなんてのもありました。ファミコンやりすぎると視力が落ちるとかなんとか言ってますけど、自分の場合はまったく問題なかったですね。それを理由にして子供がファミコンをやることを制限する友達の親も多かったです。当時のゲームは長時間かかるものも一部を除けば少なかったので、ラスボス直前で残り1分なんてこともなかったかな。高橋名人もゲームは1日1時間とかなんとか言ってたみたいだった。

ツーコンマイクは何のため?
ファミコン本体も2,3回買い換えたものでした。確か定価\14800だったような。アダプターがついてない物が少し安めに売ってたりしてました。今ファミコンって売ってるのかしらないけど、多分、中古屋で\1000位で売ってそう。しかもニューファミコンというものが。交代でプレイしたり同時プレイができるソフトもありました。ツーコン、2プレイヤーのコントローラにマイクがついてなかったような気がする。コントローラも取り外しが可能でしたね。

初代ファミコンにはツーコンにマイクがついていて、コントローラを取り外すには本体をコジあけないとダメでした。マイクといえば、このツーコンのマイクを利用するゲームもあったな。ドラえもんで、ドラみ?ドラミ??ちゃんを呼び出す機能がついてたりしていて中々面白かったですね。

ドラクエシリーズ大人気
マリオシリーズの人気もさることながら、ドラゴンクエストIIIの発売により、いわゆるRPGもこのころから多く発売されるようになりました。まだその頃はドラクエの方が人気があり、FFよりはドラクエ派の人が多かったですね。悪い中学生が小学生からソフトを巻き上げるなんて事件もニュースでかなり話題になったくらいですからね。一種の社会現象でもありました。ファミコン人気につれて中古ソフト販売店も増えてきたので、手持ちのソフトの数もずいぶんと増えたものです。
ミニ四駆の名人みたいのもいた
またファミコンではないですが、このころミニ四駆と呼ばれるラジコンを小型化した組み立て式プラモデルも大流行しました。マンガ本コロコロコミックの影響でしょうか、私もブーメラン、スーパードラゴンなどを組み立て、ワイドタイヤ+ワンウェイホイール、ハイパー何とかモーターなどを装備したミニ四駆を組み立て、地区のレース大会などに参加しました。車体の軽量化のために熱した鉄釘をあちこちにあて穴だらけの車体を作ったりコーナーリングの性能を良くするためにローラーみたいのをつけたり、と。ワイドタイヤ+ワンウェイホイールは近所のオモチャ屋さんで予約しても2週間待ちというくらい貴重な装備品でしたね。
スーパーファミコン高いよ〜
そして何年か過ぎてスーパーファミコンが発売されました。定価\25000もしたので発売当時は手が出ませんでしたね。ドラクIVはスーパーファミコンではなくてファミコンでプレイできるので購入をみおくった友達が多かった気がします。ドラクエV以降はスーパーファミコンでしかプレイできない。スーパーファミコンを購入後、初めてFFシリーズをやりました。コントローラのボタンが増え、より複雑な操作もできるようになってきました。ツインファミコンなどという高価なファミコンを持ってる金持ち≠フ友達もいましたね。FFIV・V・VIがスーパーファミコンでのプレイで、III以前はファミコンでのプレイとなります。VII以降はプレステ、X以降はプレステ2にてのプレイとなり、より鮮明な画像と音楽でプレイできるようになり、二頭身キャラも八頭身キャラへと変化していきましたね。その中でもFFVは私のお気に入りの一つでもあります。
携帯ファミコン出現
さらに携帯型ゲーム機が発売されました。ゲームボーイですね。今のゲームボーイとは違って液晶がモノクロで見づらく、本体もデカイポケットじゃないと入らないものでしたね。本体同士をケーブルでつないで対戦ゲームなども楽しむことができたものです。今でもさらに高性能な携帯型ゲームを電車の中でプレイしている姿をよく見かけるものです。
管理人とファミコン エピローグ
さらに数年がたち、プレステ、サターン、64と発売され、現在のプレステ2やゲームキューブ、XBOXなどに至ってます。今現在私の自宅にはホコリをかぶった初代ファミコン、スーパーファミコン、セガサターン、初代プレイステーション、ニンテンドウ64、初代プレイステーション2があります。電車でGO!専用のコントローラなんかもあります。あと液晶がイカレタ初代ゲームボーイも・・・。ソフトは全部集めたら200本くらいあるみたい。クリアしてすぐに中古屋に売りにいったものでも、月日が経つにつれまたやりたくって買い戻したソフトもありました。もう使用しないゲームもあるけどなんか捨てられないでとっておいてあります。ディスクシステム、ツインファミコンだけは何故か買えなかった。単に高かったからだろう。

今後発売されるハードは多分、FFシリーズ対応のものくらいしか買わないかもしれないですね。PC対応のFFも販売されてますし、ネット対戦なんてのもインターネットの爆発的な普及で気軽にできるようになってきましたね。昔のファミコンゲームならエミュレータと呼ばれるソフトを使えば、プレステのソフトくらいまではPCで対応できますしね。最近ではプレステ2のソフトを起動させることも可能になってきたみたいです。プレステ2本体などのゲーム専用機を買ったほうが高性能なPCを購入するより安上がりだと思いますけど、すべてのゲームがPCでできたら面白いですね。

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